nanoZen

nanoZen 001
"Shofu"
155 x 360mm

個人蔵


nanoZen 002
"Ensoh"
235 x 285mm

個人蔵


nanoZen 003
270 x 220mm
個人蔵


nanoZen 004
150 x 100mm
個人蔵


nanoZen 005
270 x 160mm
個人蔵


nanoZen 006
350 x 140mm
個人蔵


nanoZen 007
150 x 100mm
個人蔵


nanoZen 008
150 x 100mm
個人蔵


nanoZen 009
260 x 160mm
個人蔵


nanoZen 010
"Avant-eye"
270 x 400mm
個人蔵


nanoZen 011
110 x 90mm
個人蔵


nanoZen 012
150 x 100mm
個人蔵


nanoZen 013
90 x 110mm
個人蔵


nanoZen 014
70 x 60mm
個人蔵


nanoZen 015
70 x 60mm

個人蔵


nanoZen 016
60 x 70mm

スペインにて展示中


nanoZen 017
70 x 60mm

個人蔵


nanoZen 018
70 x 70mm
個人蔵


nanoZen 019
70 x 70mm
個人蔵


nanoZen 020
70 x 70mm
個人蔵


nanoZen 021
110 x 80mm
個人蔵


nanoZen 022
110 x 80mm
個人蔵


nanoZen 023
80 x 110mm
個人蔵


nanoZen 024
90 x 90mm
個人蔵


nanoZen 025
90 x 90mm
個人蔵


nanoZen 026
70 x 60mm
個人蔵


nanoZen 027
80 x 110mm
個人蔵


nanoZen 028
60 x 70mm
個人蔵


nanoZen 029
110 x 90mm
個人蔵


nanoZen 030
60 x 70mm
個人蔵


nanoZen 031
70 x 60mm
個人蔵


nanoZen 032
200 x 100mm

スペインにて展示中


nanoZen 033
70 x 60mm
個人蔵


nanoZen 034
80 x 110mm
個人蔵


nanoZen 035
100 x 100mm
個人蔵


nanoZen 036
200 x 100mm



nanoZen 037
110 x 90mm

個人蔵


nanoZen 038
60 x 70mm
個人蔵


nanoZen 039
80 x 110mm
個人蔵


nanoZen 040
70 x 60mm
個人蔵


nanoZen 041
110 x 90mm
個人蔵


nanoZen 042
110 x 80mm
個人蔵


nanoZen 043
200 x 100mm

 


nanoZen 044
110 x 90mm
個人蔵


nanoZen 045
70 x 60mm
個人蔵


nanoZen 046
110 x 90mm
個人蔵


nanoZen 047
100 x 150mm
個人蔵

 


nanoZen 048
110 x 90mm
個人蔵


nanoZen 049
70 x 70mm
個人蔵


nanoZen 050
110 x 80mm
個人蔵


nanoZen 051
"Aurora"
192 x192 mm


nanoZen 052
140 x 120mm

 


nanoZen 053
174 x 174mm

 


nanoZen 054
110 x 154mm

 


nanoZen 055
134 x 134mm
個人蔵


nanoZen 056
80 x 80mm
個人蔵


nanoZen 057
80 x 80mm

個人蔵


nanoZen 058
80 x 80mm


nanoZen 059
80 x 80mm

 


nanoZen 060
80 x 80mm

 


nanoZen 061
80 x 80mm

 


nanoZen 062
80 x 80mm

 


nanoZen 063
80 x 80mm


nanoZen 064
80 x 80mm


nanoZen 065
85 x 110mm
個人蔵


nanoZen 066
80 x 80mm


nanoZen 067
80 x 80mm

 

 

nanoZen 068
80 x 80mm

 



nanoZen 069
80 x 80mm

 


nanoZen 070
80 x 80mm

個人蔵

nanoZen 071
80 x 80mm
個人蔵

 

nanoZen 072
80 x 80mm
個人蔵

 

nanoZen 073
80 x 80mm
個人蔵

nanoZen 074
80 x 80mm
   
nanoZen 075
80 x 80mm

nanoZen 076
80 x 80mm

 

   

nanoZen 077
元素龍 四部作
"気龍(気体の精)"
522 x 110mm


京都ラ・ネージュ収蔵作品

nanoZen 078
元素龍 四部作
"水龍(液体の精)"
522 x 110mm


京都ラ・ネージュ収蔵作品

nanoZen 079
元素龍 四部作
"火龍(プラズマの精)"
522 x 110mm


京都ラ・ネージュ収蔵作品

nanoZen 080
元素龍 四部作
"地龍(固体の精)"
522 x 110mm


京都ラ・ネージュ収蔵作品



nanoZen 082
315 x 80mm

個人蔵

nanoZen 083
280 x 135mm
nanoZen 084
228 x 135mm



nanoZen 085
"新円相"
210 x 280mm


こんな絵画を、私は見たことがなかった。/eMico(学芸員)


こんな絵画を、私は見たことがなかった。

否、絵画(え)と言ってよいのかどうかも、ほんとうのところはわからない。額縁をまとっているその姿は、よく見かける絵画作品のようなのだけれど。

nanoZen、モノトーンのそれは、ボールペンで描かれているのだと聞かされた。どこにでも売っている大量生産品のボールペン。それから、アーティスト仕様の特別なものではなく、見慣れた柔らかい画用紙。これは小さな極微細の点を打って描いたと、JINMO氏は言った。シンプルな画材に制作方法に、nanoZenの由来となっている小さな点が、髪の毛や時にはそれよりも細かいのだということを聞いても、それが何なのか、全くピンとこなかった。

とにかくnanoZen は、私の引き出しのどこにもおさまらない、全く未知のものとの遭遇だったということに気付き、やっと冒頭の言葉にたどり着いたのは、nanoZenに出会って半年ほども後のことだ。

それでも私が、nanoZenに強く引きつけられたのは、オートマティスムによるその制作スタイルだった。JINMO氏は、異言(Glossolalia)に近いものだ、とも言う。

オートマティスムによる制作では、制作者の意図を精神的にも身体的にもできるだけ排除する。例えば絵画の場合、その結果として出現するイメージをオートマティスムの絵画と呼ぶ。通常の絵画制作と違って、モチーフを設定したり、絵画を完成させることを目的とはしない。そうすることで、無意識の領域へと自分を開き、理性によっていつもは隠されている、世界の別の側面を覗こうという試みは、シュルレアリスムの代表的な方法論の一つでもあった。

シュルレアリスムにおけるオートマティスムの実践者、画家のアンドレ・マッソンを発見して以来、オートマティスムによる制作は、私が最も興味を持っているテーマの一つだ。

オートマティスムを、作家のアクションの側面、とりわけ身体との関わりからとらえることを手がかりにしていた私は、卓越したギター奏者としてのポジションから見られることの多いJINMO氏が、書の世界にも親しいこと、そして彼の書くことへの、身体感覚の並々ならぬ繊細に研ぎすまされた感性を、取材を重ねるうち目の当たりにし、nanoZen の世界に引き込まれていった。

彼の言うところの、音の側面、[SonicArt] に対する、ビジュアルの側面 [OpticArt] の 爆墨、GaV、nanoZen に触れ、その制作スタイルを観察する中で、JINMO氏が書家として、熟達の域にいる人だと知ることになる。筆先の残心、作品の隅々にまで張り巡らされている気配り、時間的勢いを表現として昇華させる技量や、空間を把握するバランス感覚の鋭敏さ、等々、オートマティスムについてはじめた取材だったけれど、一番の収穫は、彼がギタリストとしてだけではなく、書く人 としても常人の域を超えたセンスと身体感覚の持ち主であると、発見したことだった。奏者と書家の両者の共演は、ギター演奏と爆墨を同時に行うJINMO氏の高度なパフォーマンスとしても、すでに多くのファンの知るところである。

JINMO氏は、突然書き始めた、と言うけれど、彼の中には既に十分な土壌が存在していて、その中に眠っていた nanoZen へと開花する種は、無意図的にも予め準備されていたものだろうということを確信している。

そして私は、歓喜する。つまり、、ビジュアルのアーティストとしてのJINMO氏の出現は、画家であったマッソンのオートマティスムと同様に、制作スタイルの探求における、道筋の一つの変容としても、nanoZen を読み解くことができるかもしれないという、暗闇に差す一筋の光のようだった。nanoZen は、オートマティスムの、現代における、瑞々しい、生きた糸口なのかもしれないと。

ところで、nanoZen を見たことの無い、全く新しいものだと感じたきっかけは、画家は、そもそも見えない粒をつかって絵をかこうなんて思わないんじゃないだろうか、という小さな疑問だった。画家は、目で見るために絵を描く。画家たちにとっての最小単位は目で捉えられる光の粒だ。

JINMO氏の nanZen は 顕微鏡でなければみえない、不可視の点を長時間打ち続けた痕跡。その制作過程もまた、時間軸の中において、常に直進しながら身体感覚の限界を更新してゆく、一過性のものだ。 一見、絵画の姿としても捉えることができるけれど、まるで日の光によって偶然に落ちた影の優美さのように実態はない。彼の書く人としての技の特異性により、絵画的にも魅力を持つ姿に昇華されてしまったものが nanoZen ではないだろうか。

それは、ほんとうに全く正しい意味での、オートマティスムなのかもしれない。このところは、もうしばらく考察してみたい興味深いところである。

JINMO氏は、芥川とピカソに最も影響を受けたと言い、岡本太郎や大野一雄ら、その多岐にわたる交遊の中でも、彼の表現の根本となる哲学は育まれていったのだと、想像を膨らませている。彼の、瞬間瞬間に繰り出される前撃は、nanoZenを構成している小さな点のひとつひとつであり、点を布置するオートマティスムのアクションが産み落とす影は、その軌跡のようにもおもう。

その影はJINMO氏の記憶の投影であると同時に、世界の記憶の投影でもあるのだろう。かつて、マッソンもそう受け止めていたように、オートマティスムは世界と作家を繋げる扉ではなかっただろうか。その扉から作家によって導き出されたものを、わたしたちは作品として受け取ってきた。

nanoZen は、その表出の一つである。

けれども、JINMO氏のアートの独自性の根底を成すのは、つきぬけて、あっけらかんと無邪気で天心爛漫な、森羅万象への全肯定が絶えずに讃えられていることだろう。彼の表現は一貫して「すくすく、のびのび、にこにこ、けざやかに」の顕現であり、そんな、無尽蔵のエネルギーの放出が誰も見たことも無い新しいものをこの世界に出現させ、観客を魅了し、わくわくさせたり、元気づけたりしている。

そして、既存のものに埋め尽くされた境界を裂き、常に未知との出会いを最高のシチュエーションで届けてくれるのだ。




2011年2月15日、スカラ社オフィスにて、JINMOが衆人環視の中、実際に描いてみせたnanoZenの基本形の顕微鏡写真。
画面下部の黒い円柱は、大きさ比較用に置かれたシャープペンシルの芯で、太さは500ミクロン。
JINMOは約30ミクロンの点を2つ、同じく約30ミクロンの間隙を保って描いている。
30ミクロンとは、ヒトの白血球の大きさにほぼ等しい。
また、ヒトの眼で確認できる最も小さな対象は約50ミクロン、2つの点を認識できる分解能の限界は約100ミクロン。
つまり、このnanoZenの基本形を描く事はもちろん、視認する事も通常、ヒトには不可能である。
スカラ株式会社の顕微鏡で撮影




nanoZenについて/JINMO

“書道”の誕生期の、その原初的意味合いとは、データを伝達する為のメディアに過ぎなかったはずの文字が、そこに乗せられたデータのみならず、文字そのものの造形、書く者の心象の反射として、“抽象美”を見いだされたという、大きなパラダイム・シフトであった。
禅宗においては、心象反射以外を削ぎ落とし、純粋抽象としての“円相”が誕生した。もはや書は文字という枠組みを捨てさり、抽象美としての純粋性を発光させた。書が文字機能を捨て去ったという再び大きなパラダイム・シフトであった。
それが今日の"墨象"へ連なり、もはや図形としての形態をも脱ぎ捨て、二次元の"視覚芸術"であったはずのものが、その速度の記録をも墨跡に表現した"時間芸術"、額や掛け軸といった枠組みの外部にも作用していく"空間芸術"として、様々なアイデンティティー、カテゴライズを自らが破壊脱皮していく"成長の芸術"であった。
が、20世紀後半以降、スタイルが固定化していき、先達の模倣、翻案などが好まれ、書道が本来持っていた伝統破壊、前例からの脱却と前進というアナーキーなエネルギーは喪失されてきたのが現実である。

“nanoZen”は「書く者の心象の反射」という原初的な書の持っていた“現象”である。
墨象以後から始まった更に脱却前進するエネルギーである。
デジタル・メディア以降に生きる現実感を前提とし、いかなる撮影やデジタル・スキャニングを持ってしても複製不可能な存在として、デジタル・エイジが威力とする複製を拒絶する"唯一性を輝かせる体験”である。
そう、nanoZenは"作品現物と現実に対峙する体験"を必然要求する。
一筆一筆は顕微鏡観察でなければ不可能な極微細をもって“書く行為”は制御されるが、その完成に至るまでの各筆毎の関わり合い方という“どう書かれていくのか”の点においては、筆を持つ者の意思を超えて自由となる。
聴覚的表現でいうならば、古くは新約聖書に記録され、今日ではペンテコステ派などが見せる“異言(Glossolalia)”に非常に近い。

作品に対峙し、観る者の視覚の深度によって、どの辺りのディテールまで認識できるのかは常に変化し、nanoZenは様々な様相を呈しながら、そして鑑賞者自身の"心象の反射"として動き始めるのである。




スカラ株式会社の顕微鏡で撮影




『 「私が一番好きな作品なの。これとならずっと生活を共にしたいの。」と、キャロリーヌ・リー女史(死ぬまでピカソ達が出展し続けたサロン・ド・メの名誉会長、前会長)は私に言った。私の作品が、"第30回フィナール国際美術展"で受賞した。
http://twitpic.com/2rqtko
【JINMOによる2010年9月25日のTwitterへの記載から】


第30回フィナール国際美術展に、JINMOの極微細爆墨作品が出展され、それが受賞しました。先日左記の表彰状が届きました。
選考委員の キャロリーヌ・リー女史は彫刻家であり、 死ぬまでピカソやシャガール達が出展し続けたパリのe有名な美術展"サロン・ド・メ"の名誉会長であり、前会長です。
彼女はたいへんJINMOの作品を気に入り、初対面の日に美術展会場近くの店で、通訳を介して3時間も楽しそうに話しながら会食していました。
今年、キャロリーヌ・リー女史とJINMOとのコラボレーション展が日本で開催される事も決定しました。