『100年前、地に脚を着く時間よりも、遥かに永く宇宙を蹴って、ニジンスキーはこう叫んだ。「震えろ! もっと震えろ!」、…宇宙に共振する虹色の痙攣。そしてその時、その宇宙さえも俯瞰して観る視点を具備していたあの魔人の眼に…、虹色の痙攣はどれほど”けざやか”に反射していたことだろう。痙攣飛翔し、宇宙を艶(いろ)ふ者。1912年パリ・シャトレ座での”牧神の午後”の前奏曲初演時に、彼はオペラ座の舞台上で、本当に射精をしてみせたという。牧神はニンフの残したヴェールを抱き、狂おしく、激しく、愛に痙攣した。その痙攣を、この弦に触れる精液まみれの我が指に宿そう。美はもとより、愛もまた痙攣的なのだ。』(JINMO)
タイトルの”Vaslav”とは、ロシアのバレエダンサー・振付師のニジンスキーのファースト・ネームです。
アルバム・ジャケットも1909年に撮影された彼のポートレートです。
本作はJINMOの脳内で舞い踊るニジンスキーをイメージし、彼に捧げて作曲されたもので、この非常に複雑な拍子構造は原始のアニミズムと未来的なデジタル・オーケストレーションの融合のようであり、伝説となった”春の祭典”初演時のインパクトを彷彿とさせます。
前述のJINMOの言葉に”痙攣”という言葉が何度も出てきますが、これはJINMOにとっては重要な概念の一つであって、日常の言葉はもちろんTwitterへの書き込みなどにも何度も出てきます。
以下に幾つか引用します。
『“美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう”と、アンドレ・ブルトンは1928年の著書“ナジャ”で明言した。
この痙攣とは、原文では不随意な肉体の動きを表す医学用語としての、“CONVULSIVE(痙攣)”が用いられている。
ここに、私はブルトンが用いていた“Automatisme”との関連を明確に感じるし、私に於いての“Glossolalia”との相似を感じざるを得ない。』
『デレク・ベイリーは確かに器楽的衝動について意識的であった。
しかし、クルト・ザックスとそれを認めるベイリーに共通している、「器楽と異なり、声楽には脳の中枢の制御にあると思われるところの、敏活な運動は無い」という認識に対しては、違和感を禁じ得ない。
器楽の拠り所である楽器そのものが無かった原始時代においても、今日にも続く“異言現象”のように、ザックスの用語を借用するならば、いわば“舌の敏活な運動”はあり得ただろうと私は考える。異言(Glossolalia)は“speaking in tongues”とも呼称されるように、あたかも「自意識を有した舌が敏活な発声をおこなう」ように感じられる不随意な衝動、或る種の“痙攣”だ。
私はこの衝動的現象は演奏家に特有ではなく、声楽家、また音楽家の領域に留まらず舞踊・舞踏家、いや芸術家の領域も超え、宗教者や幼児や酩酊者にも顕われる普遍的なものであると考える。』
『Nano Picking(極微細高速演奏)に於いても、nanoZen(極微細爆墨)に於いても、畢竟、その美はブルトンの言うように、まさしく”痙攣的”なのである。
そもそも弦の振動自体、弦の痙攣ではないか。
それを受ける鼓膜もまた、その時、痙攣のダンスに興じるのだ。
我等の鼓膜は痙攣の渦中に美を受信している。
そして、痙攣する美と交感する時、私のテストステロンは怒濤の奔流として駆け巡る。』
これらの言葉からも、『宇宙に共振する虹色の痙攣』の中、ニジンスキーとJINMOの100年の時を超えた”けざやかな歓喜”の交感が、本作に込められているように、私には思われるのです。
さぁ、両者のコラボレーションを、あなたの脳内の超時空シャトレ座でお楽しみください!
パンニングの効果をより楽しんでいただくためにも、是非、良質のヘッドホンでの御鑑賞をお薦めします。
よく御質問を受けるのですが、JINMOが制作において使用しているモニター・ヘッドホンは、Westone社の”W4”と、SONYの“MDR-CD900ST”です。
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現代音楽、先端的テクノ、実験音楽をお好きな方々にはもちろん、ギター愛好家の方々にもお薦めのアルバムです。
前作“Impromptu 140605”から僅かに35日。
通算第197作めのソロ・アルバム(Avant-attaqueからの第178作め)、リリースです。
もちろんCDと同等の、Apple ロスレス 44.1kHz 16bitの高音質です。
(Avant-attaque:HARI)