+++Izanagi (ver.1.0) +++


Izanagi (ver.1.0)

2017/8/13 リリース(avantattaque-0215)
全7曲 (total. 56:00)
フォーマット:Apple ロスレス (44.1kHz 16bit)
ウェブ・ストリーミング版
ジャケット画:"天之瓊矛を以て滄海を探るの図”
小林永濯 1880年代半ば
ジャケット・デザイン : JINMO
Created by : JINMO
Published by : Avant-attaque

【収録曲目】

01. Izanagi 01 (08:00 - 68.3MB)

02. Izanagi 02 (08:00 - 31.8MB)

03. Izanagi 03 (08:00 - 51.9MB)

04. Izanagi 04 (08:00 - 57.9MB)

05. Izanagi 05 (08:00 - 66.4MB)

06. Izanagi 06 (08:00 - 42.8MB)

07. Izanagi 07 (08:00 - 57.0MB)




2016年12月以降、JINMOの意向により、Avant-attaqueからリリースされる全作品から値札を外すこととなりました。
以下のリンクボタンから、100円でも100万円でも、どうか貴方のお好きな金額をご入金ください。
(もちろんご入金いただかなくても、全作品は何度でもお聴きいただけます。)
貴方のご厚情が次回作の制作、今後の活動のサポートとなります。
よろしくお願いいたします。



作品をお聴きになるには、各曲の((PLAY))ボタンを押してください。
iPhoneでもiPadでもコンピュータでも、CDクオリティの高音質で、すぐにストリーミング再生されます。
専用の再生装置やソフトウェアは一切必要ありません。
またコンピュータでは、楽曲ファイルをダウンロードすることもできます。
いつでもどこでも、どうか貴方のお好きなようにお楽しみください。




『古事記冒頭における創世神話に魅了されてきた。1999年に学研からリリースしたCD三部作”コントル・アタック”シリーズに収録した”ミ・ガド”では、そのまま冒頭部の朗読をレコーディングしたこともある。
”次に國稚(わか)く、浮(う)かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に”とあるように、原初、世界は混沌であった。
”この漂へる國を修理(をさ)め固め成せ”との命を天津神たちから受けた伊奘諾・伊奘冉の両神が、天空の天の浮橋に立ち、天の沼矛を混沌に突き立て攪拌することで、混沌に初めて具象世界が創造される。
もし古代人が己が立脚する確たる岩盤大地を起点として創世を語るなら、神話誕生当時の知覚の限界を当時のイマジネーションの限界として、アニミズムの素朴さを上段から見下ろすように愛でることもできそうなものの、ここで古事記が世界の原初を”混沌”であったと語る事実に、我々は古代人の知覚限界を再考せねばならぬように、私は思う。
また、”修理(をさ)め固め成せ”という意思が物理現象に影響を与えていくプロセスにも、近年の量子力学が明らかにしつつある、宇宙の全汎空間に充満する何らかの意識体実在の可能性にも触れられているように、私は思う。
“無知蒙昧で迷信を以って世界を語ろうとしていた古代人”などという像は、それこそ彼らに対する現代人の迷信ではなかろうか。
全ては史実であったかもしれぬ、そういう想いに立って古事記創世神話に改めて触れるとき、書かれた多くの神々の名前が何を意味するのか、書かれた物の名前が何を意味するのか、書かれた土地の名前が何を意味するのか…、読み、解釈するたびに、心踊る思いに駆られる私でもある。そして中でも、”その沼矛(ぬぼこ)を指(さ)し下(おろ)して畫きたまひ、鹽こをろこをろに畫き鳴(な)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より滴(したた)る鹽の積りて成れる島は、淤能碁呂(おのごろ)島なり。その島に天降(あも)りまして、天(あめ)の御柱(みはしら)を見立て八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。”のくだりに語られた”鹽(しお)”が一体何を意味しているのか。その”鹽”によって出現した世界最初の固体”淤能碁呂(おのごろ)島”とは…。
今から百年前の1916年、出口王仁三郎により最高聖地とされた播磨灘に浮かび、淡路島の北西に位置する”神島”こそに、伊奘諾・伊奘冉の両神が立てた”天(あめ)の御柱(みはしら)”、及び八尋殿(やひろどの)”が在ったのでは…、などと考えると、更に胸の高鳴りは激しくなる。』(JINMO)

 

タイトルの”Izanagi”とは、冒頭のJINMOの言葉で解るように、古事記・日本書紀の創世神話に登場する神様の名前です。
伊奘諾・伊奘冉の両神は、それぞれイザナギ・イザナミと読みます。
この二人の神様が、まず”淤能碁呂(おのごろ)島”に降り立ち、そこから次々に島を創り出して行きます。
その”淤能碁呂(おのごろ)島”が一体どこの島を表しているのか、またそもそも実在するのか、大昔から様々に論じられてきましたが、JINMOはどうやらそれが播磨灘の神島ではなかろうかと考えているようです。

本作はこのロマンチックな創世神話をインプットに、JINMOが音響的なアウトプットとして作ったものです。
ほとんどの音がギターを起源にして奏でられ、様々な音響機器で調整・変質させられたものです。
有機的なようでもあり、無機的なようでもあり、秩序だっているようでもあり、無秩序のようでもあり、インプットとなった創世神話のように、混沌と諧調が入り乱れているようにも感じられます。

また本作は単発のアルバムではなく、御察しの通り、国産みの両神を表した”伊奘諾・伊奘冉”の二部作となるそうです。
次作の”Izanami”がワクワク楽しみになります。

ジャケット画は、狩野派の絵師・小林永濯によって1880年代半ばに描かれた、”天之瓊矛を以て滄海を探るの図”です。

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ギター愛好家の方々にはもちろん、現代音楽、先端的テクノ、実験音楽をお好きな方々にもお薦めのアルバムです。

前作“Jam in Fuzuki (ver.1)”から、わずかに15日。
通算第234作めのソロ・アルバム(Avant-attaqueからの第215作め)、リリースです。
もちろんCDと同等の、Apple ロスレス 44.1kHz 16bitの高音質のウェブ・ストリーミング・アルバムです。

(Avant-attaque:HARI)