Jam in Nagatsuki (ver.1.0) 2017/9/27 Released (avantattaque-0220) 01. Jam in Nagatsuki 01 (05:47 - 48.0MB) 02. Jam in Nagatsuki 02 (05:53 - 49.0MB) |
Since December 2016, by the intention of JINMO, we have decided to remove the price tags from all of his sonic art works that released from Avant-attaque.
A dollar, million dollars or as much as you like, you can make remittance us with following link.
(Of course, you can play all albums again and again without any remittance. All donations are welcome though!)
Your generosity will support JINMO’s future creative activities.
Thank you.
To listen to the tracks, no special device or software required.
Just press the ((PLAY)) button on each track and it starts automatically streaming with your computer, iPad or iPhone in CD quality sound.
And of course, you can download the music files to your computer.
Please enjoy JINMO’s sonic art anywhere anytime.
We are very sorry but English translation underway.
We will update information according to translated contents would be available.
『最初に海外で演奏したのは、今から四半世紀前のニューヨーク、フリージャズの聖域とされたKnitting Factoryだった。そこでは夜毎、奔放な独奏やジャムが繰り広げられていた。ジャムをやるならどちらが縦糸で、どちらが横糸かもわからぬ、いわば障壁なき相互浸透の結果のような”織物(Knitting)を織り上げたかった。グロッソラリア系のギター演奏に絡むなら、やはり同じ地平に向かうグロッソラリア系のドラムが必要で、それを実現するには私自身がドラマーとなり、ギター奏者JINMOに絡む必要があった。プレクティクスの地平線の彼方、その消失点を凝視する時、“複雑”と“単純”は事象を二分する対概念ではなく、不可分な同一体であることを我々は識(し)る。』(JINMO)
タイトルの”Jam”とは、主にジャズ・ミュージシャンたちの間で使われる言葉で、複数人の演奏家たちが即興的に合奏することで、一般的に演奏家たち自身の喜びのためになされることが多いです。
“Nagatsuki”とは、日本語の”長月”です。
ですから、”九月のジャム・セッション”という意味になります。
先月リリースされた”Jam in Hazuki”の続編、シリーズ第9作となります。
緊張感ある合奏でありながらも、のびのびと楽しそうな演奏風景が目に浮かびます。
音価の短い高速演奏のギターは、時として明確な音程感の保持から解放されて打楽器的でもあり、ギターと絡み合うドラムとまさに障壁なき相互浸透を展開していきます。
グロッソラリア系とJINMOが呼ぶ高速即興に絡むドラムもまた、JINMO自身がコンピュータで演奏しています。
マシンドラムでありながらも、たいへん生々しく、まるでスタジオで二人のJINMOが楽しく元気よく演奏しているジャム・セッションの録音記録といった感じが、私にはしました。
JINMOによると、やはりこの制作はとても楽しく、タイトルからお判りのように、今後も毎月リリースしていきたいとの意向だそうです。
次作の”Jam in Nagatsuki”がワクワク楽しみになります。
JINMOのギター独奏時の特徴的スタイルのひとつに、高速複雑で極微細な即興があります。
これをJINMOはグロッソラリア系と呼称しています。
グロッソラリアとは“異言”と訳されるキリスト教用語で、祈りの熱情が極限的になった時、本人の意識から切り離されたように舌が高速で動きだし、未知の言語的発生を猛烈におこなってしまう状態を指します。
本作も典型的なグロッソラリア系表現と言え、ここでは総ての音がたった1本のギターで奏でられています。
手指が、奏者とは別に、それぞれに独立した意思を持って、能弁に語り始めたような複雑な音です。
音楽的な時間認識に於いては、律動についても、単位時間内での周波数の変化や合成の仕方についても、そこに“単純さ”と“複雑さ”が相反するものではなく、未分化に併存しているとJINMOは考えています。
乱暴に言ってしまうなら、非常に単純に聴こえる表現でもミクロにおいては、非常に複雑なものの絡み合うような複合体であったり、逆に非常に複雑に聴こえる表現でも俯瞰するなら、非常に大きく単純なものの一部であったりという事です。
JINMOはこれをよく、大河の流れや、星雲の様子、海岸線の状態などで例えて説明しています。
この考えが、複雑系研究で有名なサンタフェ研究所のひとりマレー・ゲルマン博士の概念“プレクティクス”に近似しているため、JINMOは好んでこの単語を使います。
因みに、プレクティクスとは“複雑”と“単純”の意味を持つラテン語を合成したゲルマン博士による造語です。
またグロッソラリアは人為的意識的な表現から距離を置くものであり、1920年代にアンドレ・ブルトンらシュールリアリスト達が、新たな芸術運動のひとつとして実践していた“オートマティスム”の、純化された本来的姿であるともJINMOは捉えています。
『“美は痙攣的なものだろう、それ以外にはないだろう”と、アンドレ・ブルトンは1928年の著書“ナジャ”で明言した。この痙攣とは、原文では不随意な肉体の動きを表す医学用語としての、“CONVULSIVE(痙攣)”が用いられている。ここに、私はブルトンが用いていた“オートマティズム”との関連を明確に感じるし、私に於いての“グロッソラリア”との相似を感じざるを得ない。』(JINMO)
このJINMOの言葉は、そのブルトンが“美”を語るにおいて、不随意な肉体の動き、“痙攣”を持ち出したのを受け、自己の表現との関連から述べたものです。
聴き進む内に、非常に複雑に思える音のひとつひとつは、言わば波の雫のひとつひとつであり、俯瞰してそこに渺茫たる太洋が静かに在るのにやがて気づくでしょう。
ジャケット写真は、JINMOのライブ写真を数多く撮影されている石黒達也氏によるものです。
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ギター愛好家の方々にはもちろん、現代音楽、先端的テクノ、実験音楽をお好きな方々にもお薦めのアルバムです。
前作“Minimal Symphony Opus 02 (ver.1)”から、わずかに17日。
通算第239作めのソロ・アルバム(Avant-attaqueからの第220作め)、リリースです。
もちろんCDと同等の、Apple ロスレス 44.1kHz 16bitの高音質のウェブ・ストリーミング・アルバムです。
(Avant-attaque:HARI)