+++ Piano Pieces Redux (ver.1.0) +++


Piano Pieces Redux (ver.1.0)

2017/5/20 Released (avantattaque-0206)
6 songs (total.0:24:37)
Format : Apple Lossless (44.1kHz 16bit)
web streaming
Cover drawing by : JINMO
Cover design by : JINMO
Created by : JINMO
Published by : Avant-attaque

01. Piano Piece 07 (04:49 - 17.8MB)

02. Piano Piece 08 (04:03 - 16.5MB)

03. Piano Piece 09 (04:12 - 17.0MB)

04. Piano Piece 10 (04:07 - 17.0MB)

05. Piano Piece 11 (04:32 - 17.8MB)

06. Piano Piece 12 (02:54 - 12.1MB)




Since December 2016, by the intention of JINMO, we have decided to remove the price tags from all of his sonic art works that released from Avant-attaque.
A dollar, million dollars or as much as you like, you can make remittance us with following link.
(Of course, you can play all albums again and again without any remittance. All donations are welcome though!)
Your generosity will support JINMO’s future creative activities.
Thank you.

To listen to the tracks, no special device or software required.
Just press the ((PLAY)) button on each track and it starts automatically streaming with your computer, iPad or iPhone in CD quality sound.
And of course, you can download the music files to your computer.
Please enjoy JINMO’s sonic art anywhere anytime.






We are very sorry but English translation underway.
We will update information according to translated contents would be available.


『私が4歳の時、近所のカトリック教会に、ヨーロッパから若い宣教師が4人やってきた。彼らは私の最初の親友となり、中でもベルギー出身のヘイマンス神父はたいへん私を可愛がってくれた。教会のオルガンをオモチャの様にして弾き鳴らす私を咎めるどころか、親切に手ほどきをしてくれ、上手に弾けるとご褒美にお菓子やジュースをくれた。(であるから或る意味、私のプロとしてのキャリアは、『4歳の時、教会オルガニスト、ギャラはお菓子とジュース』となるかもしれない。)
メロディー、リズム、和音などが身についていったが、褒めることはすれども決して叱ったり否定したりしないヘイマンス神父は、私のオモチャ弾き鳴らしを矯正や封印もせず、そのまま楽しく面白そうにニコニコ歓迎し続けてくれていた。今、思うに、実に幸福な楽器との出会いであったと言えるだろう。今日、私がこの様なアプローチの仕方で音楽と関わり続けていられるのも、ヘイマンス神父の優しい眼差しのおかげであったと、感謝している。』

 

JINMOのピアノ曲集 “Piano Pieces”(2017年1月30日リリース)の続編となります。


“Redux”とは、”戻ってきた”とか”蘇った”などの意味があります。
冒頭の言葉にある様に、本格的な楽器との出会いは4歳の時で、それは鍵盤楽器でした。
教会でのオルガンとの出会いの直後、JINMOの両親はオルガンを買い与え、それによりJINMOは教会のみならず自宅でも演奏することができたそうです。
その後、6歳の時から管楽器(笛、トランペット、ハーモニカ)、そして10歳の時から弦楽器(ギター)を演奏し始めています。
ギタリストという認識で捉えらることの多いJINMOですが、現在でもピアノの独奏アルバム(”Piano Genome”等)や、管楽器の独奏アルバム(”Reed”)もリリースしています。

本作は超絶技巧ピアノの即興独奏に分類されるでしょう。
どう聞いても4本以上の腕、数十本の指によって、複数台のピアノが、自由奔放にのびのびと楽しそうに弾き鳴らされています。
オーバーダビングによる多重録音では不可能な、即興…。
これを実現するには、完全に意識を同一化した自分自身の肉体を複数用意して、一発録りをしなければならないはずですが、もちろんそんなことは不可能です。

その実現に如何にJINMOが取り組んだのかが、アルバム”Piano Genome”リリース時に言及されていますので、以下に引用します。

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『私の表現したいピアノ曲を演奏するのに、私の手の本数は少なすぎる。 それは私の責任ではないが、かといってそれを理由に実現を不可能だと決め、放棄するのは、表現者としての怠慢だと思った。

ゲノム (genome) は「ある生物をその生物足らしめるのに必須な遺伝情報」として定義される。ヒトであるA氏とB氏、両者の遺伝情報は完全に同一ではない。その差異が両者を区別させる個性として現出しているのだが、差異以外の同一性(ゲノム)が、両者を同種の“ヒト”足らしめている。逆にゲノムにわずかな違いでもあるならば、それは“ヒト以外のモノ”となる。
“ギター”という楽器の何をもって“ギター”と認識するのか? クラシック・ギター、フォーク・ギター、エレキ・ギター、MIDIギターなどなど様々なものを、我々は明らかに、形も、発音原理も、材質も、弦の数も、演奏方法も異なるにも関わらず、すべてを“ギター”という認識で捉えている。 伝統的なナイロン弦を指先で弾いて演奏し、大きな共鳴胴を有する木製楽器と、私が良く使用する金属弦をタッピングし、その弦振動を電磁気ピックアップで電気信号に変換し、共鳴胴はおろかヘッドすら持たないカーボングラファイトの一本作りの楽器…、この両者の非常に大きな差異。…にも拘らず、ともに“ギター”という同種の楽器足らしめるには、そこに“ギター・ゲノム”とでもいうべきモノが存在する。
ただのワイングラスがある。“食器”だ。ある意思を持った者が、その指先を水で濡らし、グラスの淵を撫で、澄んだ高音を発する。食器は“グラス・ハープ”という楽器に、そのゲノムを変態させた。 切手収集家にとって、“切手”は郵便料金先払いの道具ではなく、値千金の美術品となる。本来、戦場での殺人兵器であるはずの道具が、国宝の名刀となる。
これらゲノムの同一性も変態も、それを手にする者の意識によって生じる。
本作“Piano Genome”とは、すなわち「ピアノをピアノ足らしめるのに必須な遺伝情報」という意味だ。私の意思が、潜在・顕在する多種多用な差異を超えて、この作品を“ピアノ独奏曲”足らしめている。原初、ピアノは現在のものと大きく異なっていた。現在でもグランド・ピアノとアップライト・ピアノは、その体積からしても同一とは思えぬ形状をしているし、音域の違うピアノ、複数鍵盤を有するピアノ、連弾用に開発された特殊なピアノ、ハンマーによる振動を電気的に増幅するエレクトリック・ピアノなどなど、先のギターの例同様に、差異の底流 に“ピアノ・ゲノム”が存在する。
演奏家の情緒に直結した即興性…、強いライブ感。有機的とも言うべき触覚。緩急と強弱の非常に大きなダイナミズム。それらを全面に押し出し、保ちながらも、演奏家の限界…、つまりは腕の本数、指の本数を超越する演奏表現。私の表現したいライブ感は、複数の演奏家が顔色を伺いながら行う連弾によっては不可能であるし、同様に、一人の演奏家がオーバーダビングによって重ねて、擬似的に腕の本数を増やすにしても、それはやはり、時間差を持った連弾行為であることに変わりなく、どうしても私の表現したいものとは異なってしまう。あらかじめMIDI情報を書き込んだシーケンサーや、MAX/ MSPなど自動演奏プログラムでは、演奏家の情緒は完全に無視され、到底演奏不可能だ。「腕を4~10本持った一人の演奏家が、即興的にライブ演奏をおこなう事」その不可能性を実現させねば、私の表現したいピアノ独奏曲は生まれ得ない。
技術的な試行錯誤が必要だった。しかし、それを克服した時、この演奏が可能になった。プログラミングの具体的技術論についての言及は、作品解説の領域を逸脱するし、また表現そのものとは無縁の枝葉末節であるから、ここでは割愛するが、簡単にいうならば様々なMIDI信号の処理の仕方をPowerBook G4のキーボードのキーひとつひとつに割当てた。私はライブ会場で無伴奏ギター独奏を演奏する時と完全に同様に、PowerBook G4を激しく演奏した。その演奏を、一音の修正も無く、まったくありのままに記録したのが、本作だ。 (但し、マスタリング時に空間処理とイコライジングのみ施してある。)
演奏中、私の手元に在ったのはグランド・ピアノではなく、その形状が似ても似つかぬ1台のPowerBook G4だった。しかし、それは“ピアノ・ゲノム”を潜在させたPowerBook G4だった。
演奏終了後、まだ無題であったこのピアノ独奏曲を聴き、“Piano Genome”というタイトルを思いついて与えてくれた HARI嬢の慧眼に感謝する。
最後に…。 表現者の強い意志は、その肉体の限界を超越すると、常々私は思っている。』
JINMO(2006年6月記)

【編注:文中に“PowerBook G4”と出てきますが、それは2006年当時のままの記載であり、2017年現在は“MacBook Pro”を使用しています。】

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あまりに特異な演奏になっているので、どうしても技術的側面に注意がいきがちですが、冒頭のJINMOの言葉を読みながら耳を傾けると、技術は身につけたものの4歳児の頃と変わらず、実に楽しそうに奔放にのびのびと演奏し、またそれをニコニコと優しい眼差しで見守る若き宣教師ヘイマンス神父の姿も思い浮かぶ様な、そんなアルバムだと思います。
どうか皆様も、ニコニコとお楽しみください。

前作“Yotsura (ver.1)”から、わずかに8日。
通算第225作めのソロ・アルバム(Avant-attaqueからの第206作め)、リリースです。
もちろんCDと同等の、Apple ロスレス 44.1kHz 16bitの高音質のウェブ・ストリーミング・アルバムです。

(Avant-attaque:HARI)