Madame Edwarda (ver.4.0)

1. The First Portrait (07:19)
2. The Second Portrait (06:49)
3. The Third Portrait (06:33)
4. The Fourth Portrait (12:08)
5. The Fifth Portrait (13:50)
6. The Final Portrait (08:24)




禁欲僧に言わせれば、美とは、悪魔のしかけた罠である。
けだし、愛の根底である無秩序と暴力と恥辱への欲求を受け入れ易いものに変えるのは、
ひとえに美の働きであるからだ。
複雑な形をとる錯乱についてここでいちいち検討している余地はないが、
最も強烈な錯乱を遠廻しに私たちに知らせてくれるものは一途な愛であり、
これこそは生の盲目的過剰を死との境目にまで推し進めるものである。

人事不省のテンポにのった恐ろしい舞踏に存在は自らを招待する。
そして私たちはそれと調子を合わせたおぞましいものだけを知り、
それをあるがままに受け入れねばならないのである。
勇気が挫けるときは、これにまさる拷問はない。
それに拷問の瞬間にはけっしてこと欠かないだろう。
こと欠くとすれば、われわれはそれを克服することもできないわけだ。
しかし、警戒心なくーーー死に、拷問に、歓喜に向かってーーー開かれた存在、
開かれ、死に瀕した、苦しく幸せな存在は、すでにおぼろな光明のうちに浴している。
それは神々しい光明である。
そして、口をゆがめ、その存在が、空しく? 聞かせようとする悲鳴こそは、
無限の沈黙のなかへ消えていく、大いなる「上帝讃歌(ハレルヤ)」である。

“マダム・エドワルダ”序文より(ジョルジュ・バタイユ:著、生田耕作:訳)



今回のJinmo氏の作品、“Madame Edwarda”はRichard D Jamesを髣髴させる細やかさと
メロディアスさを兼ね備え、穏やかでありつつも、激しくかなり力強い。
その力強さは官能的な響きである。
今後の氏の活動を語る上で、確実に避けては通れぬ作品として名を残す、
完成度の高い作品であることは間違いないであろう。
(玲芳龍嬢)

娼婦エドワルダを通り過ぎた幾多の男の歓喜または苦痛の声や意識のように聞こえる。
コーランを唱える祈りのような声、のたうち回る歪んだ咆哮、
意味不明のつぶやき、戸惑い、震え、昇天する意識……。
娼婦エドワルダの悪魔的な振る舞いと、それに翻弄され、または癒され、
昇天する男との駆け引きのドラマを見る思いだ。
ある種のジャズやエレクトロニカ、またワールド・ミュージックに近似性を持ち、
西洋音楽の伝統では計れない種類の音楽。
(“C”氏)

エロティックでパワフルで、ホルモン分泌が活発になる感じ。
最後の曲では体が宙に浮いて、そのまま天にイっちゃう感じがします。
ほんとヤバいです。
私はJINMOが今まで創ってきたアルバムの中で、これがダントツ好きです。
もう、他の言葉は思い浮かばないです。
(HARI)